簡素化という視点

 付加価値をつけたつもりで混沌とさせてしてしまう人々が多い。簡素化ができない。

 ごちゃごちゃにして、自分一人でもがくのならまあいいけれども、周りや後から来た人にそのまま投げてしまうので、弊害が大きすぎる。
 国の借金とか、トンネルの手抜き工事とか。使用済み核燃料などもそうです。

 普通なら、「作った本人が責任とれよ」ということで、たとえば、「借金にかかわった人々は消費税500%、相続も全額没収する」とか、「原子炉の掃除が終わるまで、関係者全員、後片づけにいけ」となるものだ。

 しかしながら、実際のところそうなっていない。するとどうなるか。
 できるだけ、ごちゃごちゃにして責任がわからなくする。その混沌を借金ごと他人に丸投げした方が得をする。
 こうなると、だんだんこうした価値観が人々に蔓延していく。

 5年や10年が経って世代交代が進むと、どうも人々が劣化しているんじゃないかと思うことが起こるようになる。どんなに偉い人でも例外ではないです。人の入れ替わりが進むと、人々の価値観がずれていく。

 日本の製造業が総崩れ状態ですが、いつの間にか、基本機能の強化とか、シンプル・イズ・ベストを忘れ、ごちゃごちゃしたオマケで売ろうという価値観になっている。機能をシンプルに見直したアップルに負けてしまう。

 ある意味、社会は因果応報にできているともいえる。何かの小さな欠陥や弱点があって、それが自分で修正できないとする。すると、やがては混沌が大きくなって、自分のところに返ってくる。
 企業とか学校、大学とか、製品、法律、医療とか、あらゆるところでも同じだと思う。
 自己否定の仕組みを内包しているかどうか、混沌をスクラップ&ビルドする仕組みを内包しているかどうか、が重要になる。

 簡素化する方法はこんなところであろう。

① そのシステムの機能の本質を書き出してみる。
② 機能しているところと機能していないところに分ける。
  省いても機能が失わなければ、それは枝葉である。
③ その機能をより効率的に実現するためにはどうなっていればよいか組み立てなおす。
④ 実行に移す。枝葉は捨てる。