設計ツールのオープンソース化

 メカ設計用のCADソフト、電気回路のシミュレータ、プログラミング言語などを皆で作り直して、オープンソース化していったらよいとよく思う。

 現状では、CADソフトにしてもプログラミング言語にしても、ハイエンドの設計ツールとなると、米国製のものばかりだ。
 簡単な設計をしようとしただけで、高いライセンス料を支払って設計ツールを購入する必要がある。また、米国の企業により仕様が決められているため、一方的に、設計ツールの仕様が変更されてしまう。Windows のパソコンのようなものだ。仕様変更が年々続いていて、ユーザは疲弊していく。見限るユーザも出てくる。

 プログラミング言語の場合は、仕様が変更となると、技術者が競争から振り落とされていく。例えば、ソースコードをたくさん蓄積していたとしても、プログラミング言語の仕様を変えられてしまうと、ソースコードの修正の手間は膨大なものとなる。過去の蓄積が多いほど、それがかえって足かせとなる。競争力を失う要因となっている。設計ツールを牛耳られてしまうと、仕様を少し変更するだけで蓄積はレガシーな資産ということになる。マイナスの資産となる。
 デジタル化が進んだ結果、従来のソフトウェア技術者に起きていたことと同じ現象が、ソフトウェア以外の分野でも多発するようになっている。ソフトウェア技術者35歳定年説のようなものが、会計や法律の分野、機械設計、モノづくりの分野で頻発するようになったと考えればよい。

 ある特定の製品だけの話なら、その製品が便利なら、特定の企業に牛耳られていてもよいであろう。
 しかし、CADソフトや回路設計ソフトのような設計ツールの場合は、公共性が高い。そして、その技術分野に就職して実務をこなそうとすると設計ツールの習熟はほぼ必須となる。こうした基盤の部分が米国製となっているため、設計者個人の学習の負荷が重くなる。
 さらに、ライセンス料を考慮する必要がある。ハイエンドの設計ソフトの場合、ライセンス料が月あたり10万円を超えるものもざらにあるのではないだろうか。
 その設計担当者は自分の給料に加え、10万円分、余計に仕事をしないといけない。会社が払うのだから自分には関係がないと考えてはいけない。なぜ、日本の一流企業が続々と競争力を失っていったか考察しておいたほうがよい。月10万円を超えるランニングコストは高すぎると指摘したほうがよい。

 そこで、こうした公共性が高い設計ツールについては、自分たちで作り直す。そして、オープンソース化する。

 設計ツールオープンソース化するというところは、企業ではやりにくい。大抵、競合する企業があるためだ。ライバルの作った仕様を全面的に受け入れるということはお互いに難しい。自社独自の設計ツールを作っても、なかなか普及しない。

 オープンソース化や情報の共有化は、大学か、むしろ、個人のほうが向いている。大学などの授業で去年と同じ課題を出すくらいなら、実用で役に立つ課題を出したほうがよい。
 大学のプログラミングの授業で、設計ツールの一部分を作成するよう課題に出す。提出されたソースコードは皆で共有し、優秀な解答を指摘していくようにする。そうやって、よいアイディアを皆でシェアしたほうがよい。オープンソースにして、足りないところをつぎの課題とする。
 大学の機械工学や電気工学で設計をする場合も、オープンソースの設計ツールを使うよう推奨する。設計ツールのインターフェースは普及率に合わせて従来の設計ソフトと似通ったものにしておく。
 また、設計データも公開していく。設計ツールが使いにくければ、改善を課題にする。わかりやすいマニュアルがなければ、マニュアル作成を課題にする。日本語マニュアルが欲しければ、皆で作っていく。
 CNCなどの加工用の設計ツールも同じだ。不足しているところを自分たちで作り、公開していく。
 各設計ソフトのインターフェースも統一していく。データフォーマットも統一していく。簡単な機械設計と電気回路設計程度であれば、一人でも設計できるくらいにインターフェースを共通化する。つまづくところは修正する。
 実験設備を含め、設計ツールごと、自分たちで全部作るようにする。ゼロから作ってみることで、実力がつくはずだ。

 大学としては、基盤となる設計ツールの主導権を取る。これにより、優秀な学生や先生、成長企業を呼び込む。オープンソースであれば企業の参入は難しい。ライバルは参入しにくい。また、設計ツールを作っていた学生、使いこなせる学生ということであれば、その研究室のメーカーへの就職率も高くなるであろう。大学の生き残り策として、大学が何をすれば社会が効率化されていくのか、考察がされていてもよいはずだ。

 設計ツールオープンソース化されれば、設計データの共有も進む。例えば、3Dプリンタ用のデータだとか、電気基板のパターンなども容易にシェアできるようになる。個人でも容易に設計して製作できるようになる。

 基礎的な設計ツール無償化され、設計データも公開されていくと、生活コストを下げることができるようになる。

 例えば、家具にしても、設計ツールと設計データが無償で公開されていれば、一番、気に入った木製家具を自分で作ることができる。各部品を切り出すところは、必要に応じて、東急ハンズのようなところに依頼すればよい。
 また、介護にお金がかかるといっても、設計ツールが公開されていて、介護用の道具の設計データが無償で公開されているとよい。個人でも製作できるようになるからだ。身の周りで不便なところは改善し、その情報をお互いに共有化できるようにする。他人に頼ろうとするマインドがあると、高コスト化してしまう。

 大量生産に乗らない製品や、利益が見込めない市場を相手にする場合、企業では参入が難しい。少量生産では高額化する。かといって、役所に期待すると競争や効率が軽視されて、やはり税負担が増える。

 すると、基盤となるような設計ツールや設計データを公開していって、個人で製作できるようにしたほうが解決が早いであろう。全部オープンにしてしまえば、役所や他の企業が介入する余地も少なくなって効率化する。
 設計ツールが無償になれば、個人で設計を行う人もたくさん出てくる。大企業よりも優れた設計をする個人も出てくるであろう。設計データを高額で買収する企業も出てきて、個人の億万長者が生まれる。デジタル化が進んで低価格化は今後も進むはずだ。そうであれば、大量生産を至上とする従来の考え方から早く脱皮して、将来への転換を先に済ませたほうが有利だ。

退職金のピークが30代後半となるようにしてはどうだろうか

 企業の退職金は、大抵、年齢が上がるにつれ上がっていくようになっている。

 日本の大企業であれば、定年に近づくほど上昇のカーブが急になっていく場合が多いであろう。
定年退職時に満額の退職金を受け取るのが最も得をする。貯金のようなものだ。途中で転職すると大損をすることになる。

 ところが最近は、大手企業でも退職者募集をしている例がいくらでもある。大抵は対象者は40代以降となっている。早いところでは30代の場合もある。

 企業の側からすると、支払う給料以上に利益が出ているのであれば退職者を募集するはずがない。年齢に比例するように、年功序列の給料を超えるように営業利益が増え、儲かっているのであれば人を減らすはずがない。また、年々、利益が減ったとしても、給料を減らすことができれば退職者募集をする必要がない。

 利益が出ておらず、なおかつ、正社員の給料を減らすこともできない。したがって、退職者募集が必要となる。割増退職金を支払って対処する。
 人の働きには年齢的なピークがあるということもできる。また、企業が年齢に比例するように人を活用することができない、年齢が上がっていく人々をマネジメントする能力がないということもできる。

 人の働きには年齢的なピークがあるということを認めず、年々、賃金が上がるものだとか、退職金は増えるものだという幻想を皆に持たせてしまう。このため、思い違いが生じて状況をさらに悪くしてしまう。
 学生は、皆、大企業や公務員、正社員に殺到する。正社員になった人は組織にしがみつく。高齢の人ほど、組織に強くしがみつく。あと数年、しがみつくかどうかで数百万円、場合によっては一千万円以上の差がつく。働いた内容によって額が決まるのではなく、既得権を手放さないかどうかで額が決まる。

 人の働きと収入が一致しなくなるので、いろいろなところで矛盾や制度疲労が大きくなる。
 多くの人々が努力をしている。しかし、社会にとってプラスになることというよりは、自分の既得権を強化することに注力するようになる。

 高度成長の時期であればそれでもよかったのであろう。しかし、いまは経済が成熟している。拡大路線は望めない。給料の元となる収入源には、必ず変動が起こる。年功序列の給料を減らすことは難しい。

 すると、退職金で調整するしかない。そこで、35歳くらいの退職金をピークとして、年々、退職金が減っていくような制度設計を促してはどうだろうか。

 例えば、大企業で35歳の退職金が1500〜3000万円程度でピークになるようにする。それ以降は、年齢が上がるほど退職金が下がるようにする。
 30代後半から40代の社員に抜けられると企業は困るかも知れない。しかしこれは、どこにピークを持ってくるかというバランスの問題だ。人の出入りを活発化させれば、企業側も、状況に応じたマネジメントが容易になる。
 社員の側も住宅ローンや子供の学費のために、合わない職場にしがみつくという無駄をせずに済むようになる。例えば、2500万円をローンで借りていて、一括返済ができるのであれば、将来の実質負担が500万円以上減るという事例はいくらでもあるであろう。社員の負担が削減できる。
 住宅ローンを一括返済して心機一転を図ったり、勤務形態や子育て、趣味など、自分の生活パターンに合った働き方を選択しやすくなる。

日本の電力消費

日本の電力消費について考えてみよう。一例として、地熱発電についてもまとめておこう。

 日本の発電電力量は、11,400万kW = 114,000 MW 程度となっている。2011年以前は、この3割程度を原子力発電に依存していた。総電力設備容量は 272,701 MW となっている。設備の稼働率は50%程度ということになる。

 一方、地熱発電は実績で 535 MW となっている。日本の発電電力量の0.5% 程度しか占めていない。潜在的な地熱資源量は、23,470 MW = 2,347 万kW (150℃以上) 程度となっている。
 現在、地熱エネルギーのほとんどすべてを捨てていることになる。地熱発電を推進すれば、現在の40倍まで発電電力量をあげられる可能性がある。0.5%を40倍すると20%、2割となる。従来の原子力発電の電力量に近いところまでいく。

 電力の消費地都道府県別で見てみると、上位は、東京、大阪などとなっている。東京は、全国の電力量の1割を消費している。地熱発電に適した地域は、北海道、東北、九州となっている。地熱発電は潜在的に、全電力量の2割程度に相当している。

 そこでもし、北海道や東北の地熱発電で得た電力を東京、大阪などの大都市が買い上げることにしたとする。電力の発電量、消費量としてはほぼ同額となる。
 すると、買い上げた分、現在日本が海外から購入している石油や天然ガスは購入する必要がなくなる。その分、日本の経常収支は改善する。概算してみると、各月の経常赤字のかなりの割合が解消する額となる。

 言い換えると、現在、地熱エネルギーは単純に捨てられていて、なおかつ、単に燃やしてしまうだけの天然資源を海外から輸入している。二重に損をさせられていることになる。そこで、この燃やしてしまうだけの天然資源を、現在捨てているだけの地熱エネルギーで賄う。
 すると、この分の資金で、レアアースなどの「なくならない資源」、「付加価値をつけて海外に売れる資源」を購入できる。海外の成長企業を買収して取り込むこともできる。現金をそのまま蓄えておいてもよい。これはそのまま、国際競争力の強化につながる。

 現在、丸々捨てている地熱エネルギーを大都市が買い上げるだけで、日本の国際競争力を強化できることになる。都道府県程度の一地方自治体が判断するだけで、将来の展開が大きく変わる。

 ただし、この場合、北海道、東北、九州の地熱発電で得た電力を、東京、大阪に送る必要がでてくる。単にすべての電力を大都市に送ったのでは、従来の公共工事と同じで無駄であろう。
 大都市一極集中を分散化するとよいことになる。例えば、電子政府化を進めて、データ処理サーバやホームページなどのシステムは北海道や九州に順次移設することに決める。大学や研究機関も情報のデジタル化、動画化を進める。東京大学の全講義をデジタル化して、そのデータを北海道や九州に置く。計算サーバも北海道に置く。国会図書館もデジタル化してデータ処理サーバを北海道に置く。技術文献もすべてデジタル化して検索システムを九州に置くことにする。

 既存の発電システムや電気代には福島原発の処分費用が加わるであろう。また数十年後には、廃炉になるであろう他の原発の処分費用も上乗せされていくであろう。

 北海道、東北、九州の側からすると、地熱発電の設備を増設して、その電力を少し割安にしておく。そして、データ処理サービス等を行う企業、団体を誘致していけばよい。もともと捨てていたエネルギーで競争できるのだから、火力発電の電気代が上がるにつれ、自然に淘汰が進んで有利となる。

 また、地熱発電の設備を分散・独立させておくことが重要だ。何しろ、市場規模が40倍に化ける成長分野と見込まれるからだ。あらゆる産業・行政システムの情報化は今後も必ず進む。地熱発電をその情報インフラのエネルギー源とする。
 最悪な選択肢は、国に陳情して大規模な公共工事をすることだ。そして、地方のエネルギーの主導権を国に奪われることだ。
 重要なのは、中小規模の発電設備でよいから、エネルギー源の主導権を取ることだ。地熱発電は一例であって、潮流発電など他の自然エネルギーでもよい。独立・分散したエネルギー源を持つことが戦略上重要だ。
 エネルギー源さえ確保できれば、企業を誘致したり、税負担を軽減して若い世代を呼び込むなど、新たな選択肢が出てくる。

 電子政府サービス、データ処理サービス、納税相談サービス、教育サービス、電子医療サービス、法務サービス、報道サービス、データ通信サービスを分散型のエネルギー源で賄うようにする。無償のサービスシステムを作る。
 東京、大阪、その他、人々が生活する都市では、格安のサービスが受けられるようにする。基本インフラを無償化していく。
 各家庭では、教育費、通信費、行政・税金などの負担が削減できることになる。単純に無駄がなくなった分、ランニングコストが下がり、競争力を強化できる。




参考1 電気事業連合会ホームページ
参考2 http://www.geothermal.co.jp/etc/geo04.htm
参考3 計算のメモ書き 

1年 = 24h x 365日 = 8,760時間 
1月 = 8,760時間/12 = 730時間

発電量 
約10,000億kWh/年 = 1.14 億kW
= 1.14 x 100,000,000 kW = 114,000 MW = 11,400万kW 程度(2010年)

使用電力量
全国 285,283 x 100万kWh
東京 30,456 x 100万kWh
東京都の人口は全国のほぼ1割なので、電力消費も人口に比例すると理解しておけばよい。

世帯について 
世帯あたりの電力使用量は、300kWh/月・世帯となっている。電力料金の単価を 25円/kWh とすると、世帯ごとに7,500円/月程度を支払っていることになる。
1年に直すと 300kWh/月・世帯×12か月/年・世帯 = 3,600kWh/年・世帯
時間に直すと 300kWh/730h・世帯 = 0.41kW/世帯となる。
300kWh/月・世帯×6,000万世帯×12か月/年 = 21600000 kWh/年 = 2465.7 kW

太陽光発電について
地球が受け取る単位面積あたりの太陽エネルギー(太陽定数)は、1.37kW/m^2 = 1.96cal/cm^2・min(大気圏外)となっている。
50%程度が地表に達するとすると 685W/m^2 程度の太陽光を受け取ることになる。
住宅用発電パネルの最大出力は、1枚1600mm×800mm = 1.3m^2 程度の寸法で240W程度となっている。
効率は、240W/(685W/m^2 x 1.3m^2) = 27% 程度となる。
このパネルを20枚敷き詰めたとすると4,800Wとなる。損失2割として、4,000W = 4kW 程度となる。
一戸建て世帯であれば使える可能性があろうという程度の、設置面積、出力となる。
マンションであったり、勤務先がビル等の場合、人数が集まっている分、電力量が不足する。
雨の日や夜なども電力が不足する。
リアルタイムの必要性の低い分散処理を太陽光発電で賄うとよい。

地熱発電について 
実績 535MW = 535 x 1,000 kW = 535,000 kW
25円/kWh で金額に換算すると
535,000 kW x 25円/kWh = 13,375,000 円/h = 9,763,750,000 円/月 = 100億円/月 となる。
地熱発電を進めて40倍になったとすると 4,000億円/月となる。
2013年11月の経常赤字は1985年以降最大の 5,900億円程度とのことなので、経常赤字にほぼ匹敵する分が解消することになる。季節変動を入れるとプラスの月も出てくる。

機能で見る、というモノサシ

「機能で見る」というモノサシについて考えてみよう。
身の周りで混沌としているな、何かおかしいなと思ったとき、判断のためのモノサシや着眼点をまとめておいたほうがよいであろう。

・ 機能とはどういうものか 

 まず、機能、システムとはどういったものだろうか。
 「時間の経過に伴い一定の操作・処理が行われることで、利益状態など、以前とは異なる状態が得られること」というところだろう。

 「時間」という要素が必要といえる。例えば、ハサミの場合、まず紙を持ってきて、手で一定の操作をする。すると、期待する形やサイズの紙が得られる。二つに切断したかったら、ハサミで切るとカットされた望ましい状態が得られる。
 ある一定の操作を経て、時間の経過後、何らかの利益状態、作用効果が得られる。「時間」が入っているのがポイントだ。ハサミを使うことで、周囲が利益とかより望ましいと思う状態が提供される。

 時間の経過が関わらないモノは「機能している」とはいわない。例えば、単に百科事典があったとする。その情報を誰も見ないし触らないのであれば「機能している」とはいわない。100億円の金塊があったとしても、誰も気づかなければなかったことと同じことになる。
 どんなに素晴らしいモノや情報、知識があったとしても、それが存在しているだけでは機能しているとはいえない。利益、価値が生み出されているとはいえない。

 ソフトウェアの例でいえば、データがある一定の手順で処理されることで、顧客が見たいグラフが出るなどというものだ。電子レンジであれば、中に食品を入れてボタンを押すと、数分後、温かい食べ物が出てくるというようなものだ。いずれも、時間の経過が関係している。

 「大学で専門知識を習得したのに就職できない」という場合、知識があるという状態だけでは、人々が欲しいサービスを提供できる機能があるとはいえない。資格も同じだ。モノ知り、博識なだけでは役に立つ機能が提供できるとはいえない。
 「大学を出たのに、難関試験に合格したのに、なぜ就職できないのか」という状況が起こるが、知識や機能についての考察が甘いから、ということになる。

・ 機能は何か 

 つぎに、機能は何かと見ていく。ある組織やモノを見ていき、その機能は何かと見ていく。身の周りを見ていって、モノは置いてあるが機能がないのであれば、そこにある必要がない。無駄だったということになる。
 場合によっては、機能を見直すことがある。望まれている機能と提供される機能とが実は食い違っていることがある。役所の窓口にいったらたらい回しになって、結局、よくわからなかったというようなものだ。無駄が生じ続け、効率を落とすだけだ。
 また、同一の機能が重複している場合もある。縦割り組織のそれぞれが、同じようなシステムを発注していて構築していたりする。機能が同一であれば統合したほうがよい。

・ 機能しているか

 つぎに機能しているかという観点で見ていく。もし「機能していない」のであれば、削減の対象となる。
 例えば、スイッチが壊れていて機能しないのであれば、スイッチを捨てて、新しいモノに取り替えるしかない。スイッチを取り替えないと、スイッチにつながっている電灯も機能しない。スイッチも電灯も使えないのなら、その部屋も使えなくなってしまう。なので、機能しない部分を捨てることが重要だ。新しいものに取り換えることになる。
 壊れたスイッチがもったいないので捨てられないのであれば、直すしかない。スイッチを作り直すコストと新しいスイッチを買ってくるコストの比較の問題となる。
 ここで最悪の選択肢は、現状維持をしてしまうことだ。壊れたスイッチを作り直そうとして時間と費用、労力を消耗し、電灯も部屋もすべて使えない状態がずっと続くということだ。

 組織というものも同じであろう。一部の組織が機能不全になると全体が機能しなくなる。ダメな組織を入れ替えないと、全部がダメになる。
 国の組織というのでも同じだし、資格制度、採用制度というものでも同じだ。何かおかしい。利益がだんだん得られなくなってきた、というのであれば、機能というモノサシで見ていく。
 機能しなくなってきたときは廃止・削減して、入れ替えるほうが早い。廃止せずに現状維持をするというのが最も愚かな選択肢ということになる。機能するところも機能しなくなるからだ。

 「機能別組織」というものがある。個々の組織の内部では活動をしていたとしても、外部から見て機能しているかを見ないといけない。ハサミがあったとして、ハサミの側から見るのではなく、ハサミを使う側から見て使いやすいか、便利か、機能しているかを見ていかないといけない。高価なハサミだったとしても、壊れていて切れないのであれば意味がない。そこにあるだけ邪魔だ。

・ その機能は効率的といえるか 

 また「機能している」のであれば、その機能は効率的か。競争力はあるかと見ていくことになる。
 他と比べて効率が悪いのであれば、全体の効率を落としていることになる。日本の組織で行うより、海外のほうが安いのであれば、アウトソーシングしたほうが効率的ということになる。
 旧式の受発注システム、経理システムというのがあって、今どき、フリーソフトでネットで公開されているのであれば、旧来のシステムや要員を廃止したほうが大抵早い。

 ここで「機能は落ちてきているが、頑張っているのだから認めて欲しい」という要求を認めてしまったとする。すると、効率や利益を無視した頑張りやパフォーマンスの競争になる。例えば、残業をしているだけの組織になる。長時間労働の労働時間だけで競おうとする体質の組織になる。
 機能で見ればよいものの、機能とは異なるモノサシを入れてしまった組織は、効率を見ないパフォーマンスで勝負する組織となる。無駄が維持されてしまい、形骸化、衰退していくことになる。

デジタルカメラの活用法

デジタルカメラの活用法についてまとめておこう。

・ モノを減らすのに活用する 

 ハガキ、メモ書きなど、日常で出てくる書類は、デジカメで撮って捨てる。ちょっとした記念品のようなモノもデジタルカメラで撮って処分する。モノを減らすのに活用する。A4書類もデジカメで撮って処分する。ノートも各ページをデジカメで撮って処分する。書籍もデジカメで撮って処分する。モノを減らしてデジタル化する。
 デジカメで撮っておけば細々したところは忘れられる。ストレスを減らすことができる。

・ 部屋の収納を撮って整理整頓につなげる

 時々、部屋の中や収納をデジタルカメラで撮っておくようにする。押入れの中、段ボールの中も撮っておく。引き出しも、それぞれの引き出しの中をデジタルカメラで撮るようにする。段ボールの中などを探すとき、ついでにデジタルカメラで撮っておく。

 デジタルカメラで撮ったフォルダ内の写真をざっと見ていくだけで、どこにしまってあるか探し出せるようにする。写真からモノが探し出せるようにする。同じところを何度も探し回る手間が解消する。

 また、写真をざっと見ていくと、似たものがあちこちに分散されていることに気づく。ペンや本があちこちにしまってあったりする。夏だけに使うモノ、冬だけに使うモノ、旅行にいくときにだけ使うモノがバラバラに収納されていたりする。
 買いだめしてあった消耗品を完全に忘れていて、同じモノが複数、あちこちにしまってあったりする。
 写真を見て、似たモノがあちこちにあると気づいたら、一か所に集約するようにする。

 身の周りの収納をほぼ網羅する程度に写真が集まると、ランダムアクセスが可能になる。あの部屋のどの引き出しの中と、別の部屋のどの棚の中に、同じモノがしまってあるというようなことがわかるようになる。
 似たモノを集約していく。季節の変わり目ごとに、旅行にいくごとに探し物をしていたという無駄が解消する。

・ 環境の見直しに活用する 

 さらに、数年前の写真をいくつか比較して考察していくようにする。

 「この時期は引っ越したばかりでスッキリしていたな」とか「あまり使わないモノが増えてきたな」など、写真であれば客観的に判断できる。
 昔の写真を見て「使わないモノは早めに処分しておけばよかった」、「モノは多いけれども活用度がゼロだ。利回りでいえばゼロだ」、「記念のモノだと思って数年間持っていたけれども実はストレスだった」ということに気づくようになる。
 現在の環境について客観的に判断がつくようになる。シンプルライフ、持たない暮らしを促すことができる。

 デジタル化が進んで、ハードディスクなどの記録媒体の価格が下がっている。撮った写真などのデータを持っているだけのランニングコストは限りなくゼロに近い。
 デジタルカメラを活用することで以前は難しかった周囲のデジタル化や整理整頓、効率化につなげることができる。

英語の語彙を増やす方法

英語の語彙を増やす方法について考えてみよう。
事例を挙げたほうが早い。

http://cafetan.jimdo.com/

これに似たホームページを探しているのだけれども、なかなか見つからない。

 主観であるが、よいホームページの条件を列挙するとつぎのとおり。
・ アクセス性がよい。すぐに取り組める。
  ユーザ登録などの手順がない。最小化されている。
・ 何を覚えればよいかが明確である。
・ 余計な情報がない。シンプルである。
・ 必要な語彙が網羅されている。情報量が十分である。
・ 重要度順、頻度順になっている。

 実用で使えるためには、日常英語で2000語程度、専門分野で500語程度は必要であろう。それがカバーされている必要がある。単語の説明が詳しく書いてあるホームページがあるが、単語数が100個程度だったりする。これでは網羅性が足りない。

 上のホームページでアイディアを加えるとするとつぎのようになる。
・ 熟語が充実しているとよい。
・ 分野別のページがあるとよい。
・ 英語に限らず、他の分野についても充実されているとよい。

 改善点については、改善を要望する側が情報などを提供していけばよいことだ。インターネットの市場に任せれば改善するであろう。
 英語力が伸びないのにTOEICを何度も受けたり、英語の学習教材を買うのであれば、その分の資金なり、労働力、情報等の余剰があるということだ。よいホームページに情報なり資金なりが供給され、アクセス数が増えることで、市場原理で改善されていくであろう。


 さて、少し脱線する。英語業界の状況について考えてみよう。

 英会話学校、予備校、英文学専攻としている大学の研究室などを探しても、上の条件を満たしたホームページがあまりない。また、翻訳会社などでは英語ができる人がたくさんいるはずだが、上の条件を満たしたところが少ない。

 英語で収入を得ている人々は、データを無償で公開してしまうと職を失う、あるいはライバルに情報を取られるという意識を持つのであろう。こうした人々が集まると、基本的に情報を公開しないタイプの集団、業界になる。
 彼らからすると学生の英語力が向上しないほうが、英語の本も売れ、収入源が確保できる。学生が10年間英語を勉強して英語が話せないと10年間の安定収入が期待できる。20年に引き延ばすことができれば市場が2倍に増える。現状を維持するほど利益になる。
 学習効果がお粗末すぎると売上が得られないであろうが、学習側の効率を上げすぎてしまっても、売上が減少してしまう関係になっている。基本的に効率の改善を指向しない業界になる。

 学生などのユーザ側は競争状態に置かれている。例えば、英語の得点で進学や就職が決まる。しかし、供給側は生かさず殺さずの現状維持なので効率化は促されない。
 学生も他の学生はライバルなので、情報の共有はなかなか進まない。効率の悪い方法を強いられ、何年勉強しても英語力が向上しない。部分最適が進むと、全体としては最悪となる好例といえる。
 しかし、インターネットなど情報化が進んだ。生の英語や無償の教材に接することができるようになった。供給側は現状維持だが、ユーザ側は競争状態に置かれているので情報化が進む。ユーザ側が、供給側の組織やシステムが形骸化していることに気づくようになった。その結果、業界ごと衰退していく。

 多くの業界で同じことが起きている。自分の給料を上乗せしよう、自分たちを維持しようという観点で制度・仕組みが作られている。供給側は現状維持となっていて変化しにくいがユーザ側は情報化が進む。結果、供給側が衰退していく。

 いずれは消えてしまう旧来の仕組み(学習効果の低い英会話学校、大学の研究室など)を維持させてしまうと、効率の悪い組織に税金やユーザ側の資金、労力が回ることになる。効率の悪い組織が併存していると効率のよい他の組織をも停滞させてしまう。例えば、本来なら短期間・低資金で英語力がつくはずなのに、何年も英語の学習をさせられることになる。税負担が余計に重いようなものだ。将来の可能性の芽を摘んでしまうことになる。

 ユーザ側の戦略としては、英語に限らずあらゆる専門分野で、情報をどんどん公開してしまえばよいことになる。

価格のパターンわけ

価格、費用の考え方についてパターンをまとめておこう。文献1を参考にした。
それぞれ典型例を挙げておく。

① 取得価格 
 その製品やサービスを市場で購入したときの価格。
 例:消費者個人が商品を買うとき 

② 複製価格 
 自分のところで複製する・請け負うとするといくらになるかという価格。
 外部から買ってきた材料代(原価)に、人件費(自分の給料)を上乗せした価格。
 例:ソフトウェア企業、シンクタンク、製造業、役所等が製品・サービスを作るとき

③ マーケット価格(処分価格、売却価格)
 市場で売るとしたとき、実際に売れる/売れている価格。
 例:営業職が商品を売るとき、外資系企業が自社を売るとき

④ 収益還元価格 
 銀行預金や国債の利回りを基準として、購入して運用したと仮定したときの利回りから逆算した価格。
 例:投資家が資産を購入するとき 


 取得価格①でいえば、例えば、1000円の新品の本を買った場合、その個人はその本には取得価格①の価値があると思っている。なので、落丁など商品に欠陥があると、返品にいって、1000円を取り戻そうとする(取り戻せると思っている)。
 また、本を読み終わって売ろうとすると、中古になって、マーケット価格③(例えば100円)で処分することになる。

 ソフトウェア開発の場合、人月を積み上げて価格を決めている。なので、複製価格②の考え方をしている。
 日本の製造業も同じだ。同業者の新製品を見ていて、同業他社ができるのなら、自社でも作れるという発想をする。
 先行企業の製品を複製し、少し改善すればその分有利という発想をする(いまでは全く成り立たないのだが)。買ってきた材料の原価に自分の給料を上乗せして価格を決めようとする。
 なので、新製品の開発・販売が遅れると、人件費が単純に上乗せされていく。マーケット価格③からかい離していく。つまり、マーケット価格は下がっていても、複製価格は上昇する傾向があるので、非常識な状況、失敗が起こりやすい。また、早くどんどんコピーして早く安く販売するという発想になる。
 役所なども、実は、同じ発想をしている。自分の/自分の組織の給料だけは税金からまかなわれるものだと皆が思っている。請求書は税金で充てるのが当たり前になっている。農業も多くが同じ発想をしている。
 こうした人々は、積み上げる人件費は増やしたほうが請求額が増える、残業もしたほうがパイが広がるのでよいという発想をする。
 市販の安いソフトウェアがあっても、無料のオープンソースのソフトウェアがあっても見なかったことにして(あるいは本当に知らず)、独自開発する。仕様やフォーマットを少しずつ独特なものにする。互換性・共通性のないことが付加価値で差別化だと本当に信じている。

 外資系企業は、マーケット価格③で判断するところが結構ある。製品価格③が下がってくると人員を解雇し、ビジネスモデルを再構築する。あるいは、パソコンメーカーのように、自らの組織ごと中国の企業等に売却してしまう。

 収益還元価格④は、利回りからみた価格である。例えば、月10万円の家賃が得られる中古マンションがあったとする。年120万円の収入が得られるので、利回り10%なら銀行金利を超えるであろう。そこで、適正価格は1200万円とするようなものだ。
 この収益還元価格で製品・サービスを作っている企業は少ないように思う。広告収入や現金フローで換算するといくらだから、企業買収の適正価格はいくらと考えるような企業だ。



 みなさんの組織はどれですか。また、就職するとしたらどれが好みですかと聞くと、人々をタイプ分けできると思う。

 おそらく、日本の組織の90%くらいは、取得価格①や複製価格②が当たり前という考え方をしていると思う。それ以外を知らない。それ以外の文化に接したことがない。銀行も、日本の銀行であれば①や②ではないかと思われる。
 外国人と仕事で接して彼らの行動パターンを見ていると、マーケット価格③や収益還元価格④で判断している人々がいる。なので、突然人員解雇が始まったり、企業買収が起こる。

 どれが正しいかというのは人々の価値観によって異なる。
 また、どれが儲かるかというのも、マーケット環境によって変わる。例えば、アメリカのコピーをしていればそれが正解だった時代では、複製価格②の発想が勝ちパターンであった。
 ところが、電機メーカーの中に、1社だけ、アジア系の海外企業(中国・韓国・台湾企業)が混ざったとする。すると、複製価格②の発想をしている人々は、業界ごと総崩れとなる。上乗せする人件費が全然違うからだ。
 また、いまでは、多くの人が同じ行動をすると、裏をかかれて全員損をするパターンが多い。マーケット環境によって、判断が変わってくる。

 大学教授、医者、弁護士などの規制業種は、複製価格②の発想をしている。
 学生が、授業料(複製価格②、すなわち教授の人件費)を払って有名大学を卒業してみたら、就職できなかった(マーケット価格③の市場価値もなかった)ということが頻発する。法科大学院や司法修習も同じだ。そこで学ぶ内容にマーケット価格を超える価値があるのなら、困る人はいないはずだ。
 例えばクイズであるが、司法修習で学ぶ内容は月額換算でどれほどの価値があるのだろうか。
 月額20万円を払う価値は全くない。月額1万円を払う価値もないということであれば、自分が弁護士になっても月額1万円をもらう価値はないであろう。こうして市場は、適正なマーケット価格③に収れんしていくことになる。

 時々、自分の周囲の環境がどのパターンか、またはそれ以外か当てはめてみて、備えをしておいたほうがよいであろう。①や②しかないと思い込んでしまうと、異なる着眼点があるということを知らないと、単純に淘汰されていく場合がある。自分の業界の常識が当然だ、外でも通用すると思い込むと、しだいにジリ貧に追い込まれる場合がある。

 また、費用、価格、価値、効率などといったとき、少なくとも、①から④の異なるパターンがある。違う基準を持った人々がそのまま議論をしても話がかみ合わない。

 いくつかの無駄を放置するより、着眼点をまとめておいたほうが建設的と思ったので書いてみた。


文献1:「すぐに未来予測ができるようになる62の法則」、日下公人