充電池のパターン

 充電池のパターンついて考えてみよう。

 家電量販店のホームページで「リチャージャブル」で検索すると、100個ほどの充電池が出てくる。
だいたいがデジタルカメラ用かホームビデオ用だ。携帯電話の電池を入れると、日本国内で数100種類くらいの充電池が発売されているであろうか。

 これまで、多数のデジタル製品が発売されてきたけれども、各社ごとに、また、製品ごとに独自の充電池だ。充電池といっても、せいぜい電圧と容量くらいしか違わない。ほとんど同じなのに互換性がないのだ。

 自社独自の形状にして、顧客を囲い込み、電池を売って利益を得ようという意図なのであろう。

 しかし今どき、「ユーザーを囲い込む」と聞いて疑問を感じないのであれば、その人は感覚が古いと思う。あるいは、組織が高齢化していて、10年以上前の発想から抜け切れていない。
 いまでは、囲い込みという発想が成り立たなくなっている。情報化が進んだからだ。

Google検索が普及する前であれば、このようなパターンであった。
 ① 「最新のデジタルカメラを買おう(何も考えず)。」
 ② 「旅行にいくので電池を追加しよう。」
 ③ 「互換性のある電池はこれしかないのか。とりあえず買おう。ちょっと高いけど。」
 情報が乏しいと、目先の選択肢の中から、とりあえず買うしかなかったのだ。

いまはつぎのようであろう。
 ① 「カメラ買おうかな。ネット検索しよっと。」
 ② 「電池高い! 電池2個の値段でカメラ買える。迷う。独自仕様だし。」
 ③ 「スマートフォン買おう。(カメラは忘れ去られる。)」
 情報化が進んだ環境では、仕様や値付けがわかりにくいと、ユーザは迷って購買行動に移れなくなる。製品ごと見捨てられる。
 また、楽をして儲けようとすると、ユーザはすぐに感づくのだ。ユーザにとって、本当に良い製品、サービスでないといけない。

 日本の各所で、電池の形状を設計して、販売して、設計して、販売して、というのを数100回繰り返している。
 100回繰り返したとして、101回目に何かすばらしい設計でも出てくるのであろうか。また、売り上げが伸びていくのであろうか。
 再設計を100回繰り返すと電池の持ちが10倍に伸びるのならよい。あるいは、再設計を100回繰り返すと、電池のサイズが10分の1になるのであればそれでもよい。

 しかし、100回繰り返して、101回目にまた同じようなことを繰り返しているのだとすると、この人たちはいったい何なのであろうか。こうした人々は設計能力が高いといえるであろうか。

 100回、独自仕様を発売して、だんだんジリ貧になっていて、101回目にまた同じ独自仕様を発売している。
 囲い込みが本当に功を奏しているのであれば利益が伸びているはずだ。
 囲い込みがうまくいくのは、アップルのようにシェアがトップクラスの企業程度で、それも数年くらいの期間であろう。
 いま、利益が出ていない2番手、3番手以下の企業が囲い込みをしようとすると、それは却って顧客を取り込む障壁になる。
 例えば、海外旅行にいって、現地でバッテリーを買おうと思っても、シェアが低い独自仕様なんて見つからない。国内旅行で駅の売店で電池を買おうと思っても見つからない。

 各企業がライバルとなって対立していると、ライバルが設計した仕様は認めたくない。なので、各社独自仕様の競争になる。仕様の共通化は不可能になる。
 その結果、メーカーは充電池の再設計をひたすら繰り返している程度の集団になる。部分最適は、全体最適にならない。むしろ、全体最悪になるということだ。充電池は一例であって、他の電気設計、ソフトウェア設計でも同じだ。

 日本企業が意味のない繰り返し作業をやっていて、海外から、新コンセプトの製品が発売される。すると、一気に日本はガラパゴス化する。これまで何をやっていたのかとなるが、過去の焼き直し程度の作業を繰り返し、経営資源を消耗していただけなのである。社会的な損失なのだが、これが競争力だと信じている。

 エネループのように、電池メーカーから、フラット形状の汎用の充電池を発売してもらえないだろうか。また、各機器メーカーは、その汎用の充電池が搭載できるように設計してもらえないだろうか。意味のない再設計の費用をユーザがもつのはもうやめにして欲しい。

 携帯電話、デジタルカメラ、音楽プレーヤごとにバラバラの充電池や充電器、ケーブルを作ってしまう。
 「できるだけ汎用な電池が使える」というユーザベネフィットには目をつぶる。見たくないものは見なかったことにする。ムラ社会の中だけを見ることにする。
 各社、ほとんど同じ、しかし、ちょっとずつ違うものを自分の都合で作る。皆が参入し、同じ作業を繰り返す。規格乱立となり、高コスト化し、結局、全滅する。

 日本の組織に典型的に見られる崩壊パターンだ。役所や銀行などの組織も似たようなものだと思う。
 陸軍と海軍が自分の枠の中のロジックだけでものごとを捉える。ムラ社会の外からの観点でものごとを捉える経験をしていない。全体を俯瞰する経験やトレーニングを受けていない。同じパターンを繰り返す。新兵器で攻め込まれると、竹ヤリで勝負して全滅する。
 製品が変わるごとに電池、充電器やケーブルを捨てるのでは、資源がもったいない。失敗の歴史に学ばないのは、なぜであろうか。

 メーカーは、「独自電池の再設計」という意味のないところで勝負するのではなく、充電池の持ちがよいとか入手性がよいなど、ユーザに取って本当にメリットのあるところに注力して欲しいと思う。
 例えば、デジタルカメラに電池を入れて放置したとき、1ヵ月後、使いたいと思った瞬間に電池が即、使える状態になっているようにして欲しい。携帯電話であれば、1回充電したら2〜3週間くらいは電池が持つようにして欲しい。本当によい設計を極めていれば、それを必要とする人々がいるはずだ。