インターネットの検証能力

今年だけでも、科学論文での不正が暴かれたり、新聞社が過去の誤報で信用を失ったりしている。
いずれもインターネットの影響が大きい。どういうことか。特徴を列挙しておこう。

・ インターネット上に情報を載せるコストがほぼゼロになった。

 人の創作活動には、文章、絵画、音声、音楽などがある。インターネットがこれらを一通りカバーするようになった。そして、これらの、出版物、記事などの思想や動画をネット上にアップして維持するコストがほとんどゼロになった。

・ インターネット上に情報の集約が進んだ。

 編集前の一次情報や記事、過去の音声・動画ついても、ネット上に情報が集約されるようになった。
 文字情報に換算すると無限といえるくらいの多量の情報がネット上に蓄積された。

・ 誰でも情報にアクセスできるようになった。

 インターネットの普及前であれば、各専門分野の最新情報にアクセスできるのは専門家等に限られていた。真偽のチェックも部外者にはできなかった。チェックする人数も限られていた。
 いまは、無数の人々がネットにアクセスできるようになった。日本のインターネット人口は1億人前後とのことだ。ネット人口が多数派になった。

・ ネット上の比較検証のコストがほぼゼロになった。

 ネット上に情報が集約されて、過去の言動や文書の比較、検証が容易になった。
素人と思われるような多くの人でも、単純なコピー&ペーストのチェックができるようになった。また、言動を比較して、矛盾があることを容易に確認できるようになった。新聞社や記者がどのように一次情報を加工して報道しているかもわかるようになった。
 ネットの集合知ともいわれる特徴が発揮されやすくなった。

 ただしこれは、ネット上の比較検証のコストだけが劇的に下がったということだ。

 従来のメディアに依存している人に取っての比較検証のコストは高いままだ。たとえば、新聞を購読している人が、数十年前のいくつかの記事と今日の記事を比較して矛盾がないか確認しようと思っても、事実上、不可能であろう。
 新聞だけを取っている人、テレビだけを見ている人からすると、比較検証を自分で行うコストは高すぎる。自分で確認するのは放棄して記事をそのまま受け入れた方がコスト的に見合う。せいぜい、複数の新聞を比較する程度となる。

・ 以前であれば誰も指摘しなかったことでも指摘されるようになった。

 新聞や論文の場合、従来は、情報は購読者にしか伝わらなかった。
 しかしいまはネットですぐに広く伝わるようになった。
 非公開を意図していた調書なども、一次情報が簡単に公開されるようになった。

 情報を小出しにして世論を操作する、などがやりにくくなった。
 一次情報の開示を求められたり、一部を抽出して表現を加工していることが指摘されるようになった。

 また、記者が現場を理解できておらず取材力がないことも指摘されるようになった。
 記事を内製しようとしても内容が書けず、作文だけ、伝聞だけになっていることが指摘されるようになった。

・ 論点が何かがはっきりわかるようになった。

 論点が何かがわからないと相手の主張を認めて穏便にしておくということになりやすい。とりあえず謝罪して丸く収めようということになりやすい。
 ネットが普及し、何が問題か、論点がはっきりするようになった。
 論点がはっきりすると、言動のなかでどこをどうごまかしているかわかるようになった。どこで反論すべきか、どこを検証すべきかが明確になった。

・ インターネットのほうが次元的に高いところにいる。

 インターネットは従来の報道機関からは一段低いものと考えられているようである。
 しかしながら実際は、インターネットは、新聞や出版物、テレビ、ラジオよりも高い次元にいる。

 新聞であれば、過去の音声や動画そのものを、そのまま紙面に載せることができない。必ず、文字情報に変換する作業が生じる。音声・動画情報そのものについては検証する能力がないということだ。
 また、情報の加工にあたり編集作業が伴う。従来は、写真や動画、音声を伝えるコストが文字を伝えるコストに比べて高すぎたので、編集作業は付加価値であった。しかし今は、生の情報の伝達コストが劇的に下がった。すると、文字情報に変換する際に情報が失われたり、偏ったりするデメリットのほうが大きくなった。
 テレビの場合は、他局の報道をそのまま引用することが難しい。また、複数の新聞記事を並べてじっくり比べたいという需要に対しては向かない、応えられない。

 ネットであれば、過去の記事を比較して読み比べるのは容易だ。動画を何回も聞き直してみることも容易だ。文字も動画もネットに吸収されていて、ネットの方が次元的に高いところにいる。

 文字や言論だけの世界にいた旧メディアの人々が従来と同じようにネットと争おうとしても、勝てなくなっている。従来のように情報を加工して流すことで、一部の人々の行動に影響を与えようとしても、編集側のパターンが見抜かれている。
 言語能力やリテラシー能力がいかに高くても、加工前の情報を示されて偏っていると指摘されたり、過去の言動の矛盾を動画などで比較して見せられると説得力を失ってしまう。
 過去の報道の真偽を争えば争うほど、ネットのほうが全体を比較したり鳥瞰するにはわかりやすく適しているので、人々はネットに流れてしまい、読者や発行部数を減らすことになる。

対応のポイント 

 この傾向は今後も進むであろう。
 将来に備えるため、対応のポイント等を挙げるとつぎのようなところであろう。

・ 情報操作のように、情報が外部に公開されたときに後ろめたいと思うようなことはしないほうがよい。
  内輪のやり取りと思っていても、いつかは外部に公開されると思ったほうがよい。
・ 閉鎖的な組織の破たんは今後も続くであろう。
  クローズしたシステムを作りこんだり維持しようとしても疲弊的だ。
  情報を率先して公開し、ネットを取り込んでしまうくらいの発想をしたほうがよい。