試験問題の飛び級

情報化が進んだ将来の試験制度について考えてみよう。

過去、学校の数学や物理、国語の試験でとんでもなく高成績を取る人々がいた。彼らは有名大学や医学部、法学部などに進学していった。
パソコンのように、10年以上前は30万円した製品と同じ性能のものが、いまは3万円という事例はいくらでもある。
したがって、本当に医療の才能がある人々がその業界に進んで能力を発揮しているのであれば、医療費が10分の1になるような医療革命が続出していてもよい。

現実はどうか。

風邪や花粉症を瞬時に治す画期的な発明がされたのだろうか。法学であれば、あらゆる難問をたちどころに解決する法理論が打ち立てられたのであろうか。

どちらかというと優秀だと思われた人々は、例えば医者の資格を得て高い年収を得るということになっている。できるだけ若いうちに既得権を得て、既得権を得たらその権利を享受し続けるという立場になっている。結局その才能は、収入や地位を得る手段だったということだ。

過去、数学の才能がすばらしい人々がいた。医学の道に進んだのであれば、彼らのすばらしさが発揮され、医療革命が現実化していく。将来有望だと思っていた。しかし、既得権を得て終わっているのだとすると、それは何の才能だったのだろうか。
中学校や高校受験などでも同じだ。ものすごく優秀だったはずの人々の才能はどうなったか。


一般に試験の内容を分類するとつぎのようになるであろう。
① 知識を問うもの
② 計算など加工能力を問うもの 
③ 論旨を問うもの 
④ 論理の組み立て方などを問うもの 

試験制度というものは、たいてい、試験範囲と試験時間が限られている。限られた範囲内での知識か情報処理能力を問う内容になっている。

これだと最先端に届かない。出題範囲は限定されているが、最先端は進んでいくからだ。
最先端とは違うところで競争をしていることになる。こうした競争を、高校、大学、大学院、その他、資格試験のたびに続けているのだとすると、疲弊的すぎる。
最先端のレベルは上がっているのに、大学受験で要求されるレベルが10年前と同じであってよいのだろうか。
中学校受験の数学で高成績を取っていたとしても、試験範囲が限定されているのであれば、その範囲に労力をかけすぎるのはもったいない。いくら習熟したとしても世界の最先端で通用するとはいえない。最先端から遠すぎる。

試験の才能があったとしても、パズルを解くのが早いとか、トランプの裏側をたくさん暗記できるというようなものとあまり変わらない。
ゼロを教えずにゼロの発見をさせるようなものだ。ゼロが発見されていない古代ではゼロの発見は画期的であった。しかし、いま、自分の力でゼロを再発見したとしても、残念ながら意味がない。先に進んだほうがよい。

一方、情報化が進んで、単なる知識であればネットで代替される。したがって、上の①や②に習熟する程度の従来のやり方では、だんだん社会に通用しなくなってきている。既得権を与えたとしても、ネット上の無料の情報と大差がない。

試験制度や資格を与える仕組みが古くなってきたといえる。範囲を限定し、限定した中で多くの人々に過度の競争をさせる。これでは無駄が多すぎるし、その後の成果が乏しすぎる。試験対策もゲームの攻略法のようになっていて、あまり意味のないところでの競争になっている。要領のよさや情報処理能力を見るだけの試験になっている。

そこでであるが、試験問題のうち1題くらいは、進学後に学ぶ1ランク先のものから出題してはどうだろうか。人間が飛び級をするのではなく、試験問題が飛び級をするのだ。

中学校受験なら、1題は高校受験か大学受験の試験問題を出す。大学受験であれば、6題中1題は大学院の試験問題から出す。大学院受験であれば1題は、最近のノーベル賞受賞者の論文から解釈、解説を問う。引用回数の多い論文から出題してもよいし、ライセンス料が高額な特許から出題してもよい。

こうすると、その1題は白紙答案が続出する。採点も難しくなる。大学教授の能力を超える難問も出てくる。そこであらかじめ、1題については正解のない出題をすると公言しておくことにする。採点は、提出された解答の中から妥当と思われるものがもしあれば正解にすることに決めておく。場合によっては、パソコンでの検索や持ち込みも可とする。

このようにすると、従来の受験機関は崩壊する。試験範囲に制約がなくなって試験対策のしようがなくなるからだ。

また、試験科目を既得権を得るための単なる手段としてこなすタイプの人々も減るであろう。最先端の数学には興味も才能もないのだが、大学の受験数学だけは暗記してしまっていて得点能力が高いというタイプも減るであろう。
試験範囲が決まっていないことに怒り出す人々や、正解がないことに耐えられないタイプの人々も一掃される。考えるところを暗記でこなそうとするタイプの人々も、試験範囲に制約がなくなると、覚えきれなくなる。
本当に数学などに興味があって、先の勉強をどんどん進めたいというタイプの人が有利になる。いまは大学や大学院レベルの知識もネットで公開されている。試験範囲を限定することに意味がなくなっている。放っておくと、どんどん最先端に進んでいくタイプが最短距離で優遇されるようになっていればよい。