価格のパターンわけ

価格、費用の考え方についてパターンをまとめておこう。文献1を参考にした。
それぞれ典型例を挙げておく。

① 取得価格 
 その製品やサービスを市場で購入したときの価格。
 例:消費者個人が商品を買うとき 

② 複製価格 
 自分のところで複製する・請け負うとするといくらになるかという価格。
 外部から買ってきた材料代(原価)に、人件費(自分の給料)を上乗せした価格。
 例:ソフトウェア企業、シンクタンク、製造業、役所等が製品・サービスを作るとき

③ マーケット価格(処分価格、売却価格)
 市場で売るとしたとき、実際に売れる/売れている価格。
 例:営業職が商品を売るとき、外資系企業が自社を売るとき

④ 収益還元価格 
 銀行預金や国債の利回りを基準として、購入して運用したと仮定したときの利回りから逆算した価格。
 例:投資家が資産を購入するとき 


 取得価格①でいえば、例えば、1000円の新品の本を買った場合、その個人はその本には取得価格①の価値があると思っている。なので、落丁など商品に欠陥があると、返品にいって、1000円を取り戻そうとする(取り戻せると思っている)。
 また、本を読み終わって売ろうとすると、中古になって、マーケット価格③(例えば100円)で処分することになる。

 ソフトウェア開発の場合、人月を積み上げて価格を決めている。なので、複製価格②の考え方をしている。
 日本の製造業も同じだ。同業者の新製品を見ていて、同業他社ができるのなら、自社でも作れるという発想をする。
 先行企業の製品を複製し、少し改善すればその分有利という発想をする(いまでは全く成り立たないのだが)。買ってきた材料の原価に自分の給料を上乗せして価格を決めようとする。
 なので、新製品の開発・販売が遅れると、人件費が単純に上乗せされていく。マーケット価格③からかい離していく。つまり、マーケット価格は下がっていても、複製価格は上昇する傾向があるので、非常識な状況、失敗が起こりやすい。また、早くどんどんコピーして早く安く販売するという発想になる。
 役所なども、実は、同じ発想をしている。自分の/自分の組織の給料だけは税金からまかなわれるものだと皆が思っている。請求書は税金で充てるのが当たり前になっている。農業も多くが同じ発想をしている。
 こうした人々は、積み上げる人件費は増やしたほうが請求額が増える、残業もしたほうがパイが広がるのでよいという発想をする。
 市販の安いソフトウェアがあっても、無料のオープンソースのソフトウェアがあっても見なかったことにして(あるいは本当に知らず)、独自開発する。仕様やフォーマットを少しずつ独特なものにする。互換性・共通性のないことが付加価値で差別化だと本当に信じている。

 外資系企業は、マーケット価格③で判断するところが結構ある。製品価格③が下がってくると人員を解雇し、ビジネスモデルを再構築する。あるいは、パソコンメーカーのように、自らの組織ごと中国の企業等に売却してしまう。

 収益還元価格④は、利回りからみた価格である。例えば、月10万円の家賃が得られる中古マンションがあったとする。年120万円の収入が得られるので、利回り10%なら銀行金利を超えるであろう。そこで、適正価格は1200万円とするようなものだ。
 この収益還元価格で製品・サービスを作っている企業は少ないように思う。広告収入や現金フローで換算するといくらだから、企業買収の適正価格はいくらと考えるような企業だ。



 みなさんの組織はどれですか。また、就職するとしたらどれが好みですかと聞くと、人々をタイプ分けできると思う。

 おそらく、日本の組織の90%くらいは、取得価格①や複製価格②が当たり前という考え方をしていると思う。それ以外を知らない。それ以外の文化に接したことがない。銀行も、日本の銀行であれば①や②ではないかと思われる。
 外国人と仕事で接して彼らの行動パターンを見ていると、マーケット価格③や収益還元価格④で判断している人々がいる。なので、突然人員解雇が始まったり、企業買収が起こる。

 どれが正しいかというのは人々の価値観によって異なる。
 また、どれが儲かるかというのも、マーケット環境によって変わる。例えば、アメリカのコピーをしていればそれが正解だった時代では、複製価格②の発想が勝ちパターンであった。
 ところが、電機メーカーの中に、1社だけ、アジア系の海外企業(中国・韓国・台湾企業)が混ざったとする。すると、複製価格②の発想をしている人々は、業界ごと総崩れとなる。上乗せする人件費が全然違うからだ。
 また、いまでは、多くの人が同じ行動をすると、裏をかかれて全員損をするパターンが多い。マーケット環境によって、判断が変わってくる。

 大学教授、医者、弁護士などの規制業種は、複製価格②の発想をしている。
 学生が、授業料(複製価格②、すなわち教授の人件費)を払って有名大学を卒業してみたら、就職できなかった(マーケット価格③の市場価値もなかった)ということが頻発する。法科大学院や司法修習も同じだ。そこで学ぶ内容にマーケット価格を超える価値があるのなら、困る人はいないはずだ。
 例えばクイズであるが、司法修習で学ぶ内容は月額換算でどれほどの価値があるのだろうか。
 月額20万円を払う価値は全くない。月額1万円を払う価値もないということであれば、自分が弁護士になっても月額1万円をもらう価値はないであろう。こうして市場は、適正なマーケット価格③に収れんしていくことになる。

 時々、自分の周囲の環境がどのパターンか、またはそれ以外か当てはめてみて、備えをしておいたほうがよいであろう。①や②しかないと思い込んでしまうと、異なる着眼点があるということを知らないと、単純に淘汰されていく場合がある。自分の業界の常識が当然だ、外でも通用すると思い込むと、しだいにジリ貧に追い込まれる場合がある。

 また、費用、価格、価値、効率などといったとき、少なくとも、①から④の異なるパターンがある。違う基準を持った人々がそのまま議論をしても話がかみ合わない。

 いくつかの無駄を放置するより、着眼点をまとめておいたほうが建設的と思ったので書いてみた。


文献1:「すぐに未来予測ができるようになる62の法則」、日下公人