議論のパターン
議論のパターンについてまとめておこう。
① 情報を集める。まとめてみる。
事前に、関係する事実・データ、各主張を集める。
さらに、まとめておく。できるだけ平易な表現で書き出す。
② 公開する。
過不足などがあれば修正する。
事実が間違っているのであれば直す。
③ 議論する。
主張をぶつけてみる。記録を取る。
④ 価値判断する。実行に移す。
価値基準についてもまとめておく。
⑤ 結果を評価する。
しばらく経って、価値判断が正しかったかどうかを見る。
正しくなければ、事実認識①や価値観④を修正する。
最近は、選挙でも政策でも、議論の様子がインターネットなどで公開されることが多い。けれども、いきなり③や④から始める人々が多い。
すると、もともと意見や価値観の異なる人々が集まっているので、大抵、水かけ論になる。
誰かの意見を聞こうとすると、①の事実の説明から話し始める。すると、その人の話をずっと聞いていないといけなくなる。誰かから事実が違うと指摘されると、話がごちゃごちゃになる。
主張があるのなら、どこかに書いて公開しておいて欲しい。司会者も、パソコン画面を出して要点をまとめてくれるとよい。議論の後にインターネットで公開すればよい。
義務教育や大学教育では先生が一方的に話すことが多い。議論や討論のトレーニングがされていない。すると、意見の対立があったとき、どう処理してよいかわからなくなる。模範解答や先生がない時代の対処ができなくなる。
すると、その場の空気で決めるとか、声の大きな人で決まるとか、上司や年長者に決めてもらおう、などとしてしまう。
価値判断の根拠がわからなくなるし、異論があったという記録もなかったりする。誰が決めたのかもわからない。会議はあっても議論がない。すると、失敗に学ぶことができず、失敗を繰り返すことになる。
社会の価値観が激変していたり、海外に出て行ったとき、トップが外国人等との交渉で負けてしまう。また、基礎的な事実確認もないまま、企業買収やファンド購入などの価値判断をしてしまう。その人が偉くなればなるほど、損害が大きくなる。
少なくとも、共通して合意できる程度の議論のパターンを作っておけば、蓄積が増えるに従い、歴史に学ぶ機会を増やすことができる。